速記官はこのままでいいのか
			            
NHKの朝ドラ「あんぱん」に「速記」というワードが出て速記界はやや沸き立っている感じもしますが、一方で、皆さんは「速記官」をご存じでしょうか? 「速記士」や「速記者」は、例えば国会の本会議場とかテレビのバラエティー番組などでも時々紹介されることがあるのでご存じの方も多いでしょうが、「速記官」はどうでしょう?
裁判の関係者ならなじみがあると思いますが、速記官とは、全国の裁判所にいて、裁判の中で行われたやりとりを一言一句漏らさず全部記録していく専門職のことです。身分としては国家公務員になりますね。
国会中継などで見る速記者、あるいはバラエティー番組で見る速記は、いずれも紙にペンで書いていく「手書き速記」ですが、速記官の方たちは機械を使います。「ソクタイプ」という特殊なタイプライターを用いて、人が話したことを全てリアルタイムで記録していくという、すご技を持つプロ集団の方たちです。
速記官は、1957年から長年ずっと、裁判の現場で記録を紡いできました。刑事裁判はもちろん、民事でもご活躍されていました。官設の速記官養成所でびっちり訓練を受けて、全国各庁に派遣され、大事な記録を作成し続けてきました。
「ソクタイプ」は、タイプとはいっても普通のタイプライターなどとは全然違います。配列も別次元のものだし、すごく軽いタッチで打てるので、打鍵音もほとんどしません。独特のルールにのっとって10本のキーを同時に打つと、例えば「あります」とか、そういう言葉が一瞬で記録できます。裁判所の方ではありませんが、同じタイプを使ってのすご技はこちらで見ることができます。
議会の記録が大切なことは言うまでもありませんが、それに勝るとも劣らないほど、裁判の記録も重要だと思います。少額訴訟のように1日で片が付いてしまうものはさておくとしても、日本中を騒がせた重大な刑事事件とか、民事でも莫大な金額に上るものとか、そういう裁判の記録が重要であることは言うまでもないでしょう。それ以外にも、国民全てが関心を持つわけではなくても、事案の関係者にとってはとても重要な裁判というのは、たくさんあると思います。
そして、そういう裁判というのは1日で即決ということはありません。何日も、何か月も、あるいは何年もかかることもあるわけです。そういう裁判では、人の記憶には限度がありますから、やはり記録を何度も読み返して確認するという作業は絶対不可欠なものだと思います。その作業を行うときに、きちっと整備された、ミスのない裁判記録がどれほど重要か、それは普通の頭の持ち主なら考えるまでもないことでしょう。
速記官の方たちは、そういう記録作成に長年携わってこれらており、今もなお携わり続けておられます。
ところが、その大事な速記官をなくしてしまおうという大暴挙が1997年2月に行われました。前述のように、速記官は国有の養成所で毎年養成されてきましたが、その養成所の廃止が決定されてしまったのです。
廃止の理由は、①後継者の確保が困難、②速記タイプ(ソクタイプ)製造への不安ということだったと思いますが、私からするとどちらもインチキとしか思えませんでした。
①速記官養成所への入所は、当時、10倍以上の倍率でした。とても人材不足なんて言えるような状況ではなかったはずです。今の時代で考えても、卒業後は裁判所の速記官という国家公務員職に就くことができる道は、かなり魅力的だと思います。しかも、養成所で学ぶ間は、学費を払うどころか、手当をもらいながら学べたわけですから、今でも応募者は殺到するんじゃないでしょうか。
②ソクタイプという特殊なタイプを製造してくれていたメーカーが「需要がある限りつくり続ける」と明言していたのに、それを製造に不安があるとして養成所廃止の理由に挙げるというのは、誠実な人間のやることではないと思います。メーカーの方にも失礼だし、自前で高い次世代タイプを購入してどんどん効率化を進めていた速記官の方にも失礼です。
結局、お金の問題だけだったんじゃないの?と、私は今もそう思っています。現場を知らない、記録の大切さを理解しない、そういう人たちが算盤をはじいて廃止を決め、そのために後づけした理由なんでしょう。
養成所が廃止されると、以後の養成はストップしますから、速記官の退職者が出るたびに速記官の人数は減り続け、最終的にはなくなってしまうことになります。最大時で825人いた速記官は今年4月で126人となってしまいました。当然、人数は圧倒的に足りず、全国にある50の裁判所本庁でも、速記官がいない本庁は22もあるとのことです。支庁となると、さらに厳しい状況でしょう。
足りない分は録音を民間業者に渡して記録を作成する形としましたが、例によって入札で業者は決まりますから、それこそピンキリの状態で、ひどい業者に当たればとんでもない反訳記録が納められるようです。少し前のニュース記事でも「爆弾を投げた」が「バナナを投げた」になっていたものがあるなんて、信じられないような事例が紹介されていました。弁護士の皆さんからも、現在の録音反訳方式による記録の正確性については疑問が呈されています。
廃止決定当時、たしか、動画を活用して、動画からの音声認識も併用するから大丈夫と胸を張っていたと思います、裁判では、余り人前で話したこともないような証人が小さな声で発言するような場面も多いと思いますが、そんな状況で本当に使い物になっていたのでしょうか。「音声認識はもうやめた」ともお聞きしましたが、その辺の状況について、マスコミももっと実態を紹介してほしいですね。
全国各地の弁護士会からは、速記官養成の再開を求める声が最高裁に届けられているようですが、一度決めた廃止だからと、知らぬ存ぜぬを決め込むつもりでしょうか。三権分立の1つで、憲法にも規定されている裁判所。そこの記録作成の実態がどうなっているのか、責任ある立場の人はじっくり検証して、正しい判断をしてほしいものです。
養成所廃止決定というニュースが流れたとき、一部のマスコミでは特集を組んでくれましたが、今では全くスルーされてしまっている感じです。数年前だったか、わずかに東京新聞が取り上げてくれていたように思いますが……と思って調べたら、まだ載っていますね。こちらです。
最高裁は「国会の速記者養成所も廃止されたことだから」と、廃止仲間ができて安心しているのでしょうか。しかし、確かに国会は国会で大切な記録だと思いますが、裁判の記録はそれ以上に、ある意味、ある人やその家族や関係者の人生にとって、あるいは国の大きな決断について、重大な判断を行う場です。それを決定する際に重要な判断材料となる裁判記録の作成体制について、現状のように記録の専門家、プロ集団の速記官がどんどん減っていく状態で、本当にいいのでしょうか。
どうしてお国のお偉い方は、こういう大事なところに目を向けないのでしょうね。国会議員に支給されている文書通信交通滞在費は年間約85億円。そのほかにも嫌というほど無駄金はあるだろうにと思うと、本当に憤懣やるかたないという感じです。
ということで、速記がちょっと世間の話題になるかもしれないなと嬉しい気分になると同時に、速記官問題についての怒りがまたふつふつと沸き立ってきたので、少し長くなりましたが、書いてみました。もっと詳しく知りたいという方は、STENO2000のトップページに掲載しているPDFをご覧ください。
なお、昨今話題のAI、私も Copilot に速記官を養成しなくていいのか、聞いてみました。以下、その答えです。
なぜ問題なのか
・正確性と臨場感の欠如 現在は録音を民間業者が反訳し、書記官が校正する方式が主流ですが、法廷に立ち会わない業者による反訳は正確性や客観性に欠ける、書記官の校正負担が大きく、迅速性にも課題、証言のニュアンスや間の取り方など、臨場感が失われる といった指摘があります。
・守秘義務とプライバシーの懸念 速記官は公務員として厳格な守秘義務を負いますが、民間業者にはその保証がなく、プライバシー保護の観点からも不安が残ります。
・裁判員裁判への影響 裁判員制度では、証言内容の正確な記録が重要ですが、録音反訳では証言の信頼性を検証しにくいという問題もあります。
養成再開の可能性は?
千葉県弁護士会などは、養成再開と予算復活を求める意見書を提出しており、電子速記機器の導入やソフトウェアの改善も進んでいます。つまり、技術的・人的な準備は整いつつあるのです。
技術的・人的な準備は整いつつあるということは、あとはお金の問題だけでしょうか。選挙目当ての無駄なばらまきなどやめて、こういうところにもしっかり対応してもらいたいですね。